長男は、イギリスのロンドンで、3歳~7歳を過ごし、小学校もイギリスでいうYear2の途中まで過ごして日本に帰国しました。
イギリスで幼少期を過ごし、小学校に入学したという経験は、今振り返っても、長男自身にも、そして初めての子育てと教育をする私にとっても、素晴らしい影響を及ぼたと感じています。
それまで自分自身が受けてきた日本の教育と、長男に施してきた東京での教育、それでも精一杯と思ってやってきた、と教育に比べ、もうすべてが、違ったし、新鮮だったし、刺激的だったし、感動的でした。
特にロンドン時代に出会った素晴らしいピアノ教師、Katherineは、いまだに彼女を超える教育者に私は出会ったことがない、というくらい素晴らしい若い女性でした。
彼女は、息子が通った毎週土曜日の音楽学校のピアノの個人レッスンの先生でした。最初の出会いの印象はあまりよくなく、息子の30分のレッスンの部屋に、私も同席してレッスンを聞きたい、と言うと、基本的に子供だけでレッスンをするシステムだから、できれば親は出て行ってくれないか?と杓子定規に言われたことからスタートしました。確かに、他の子供達のレッスンで部屋に親はほとんどいなかったし、まあイギリスのレッスンのスタンダードがそうなんだよ、と言われると、確かにそんな気もしましたが、私は日本人だし、息子のレッスンとちゃんと聞いて、家での練習で手伝えることは手伝いたいのに、、、とその30分のレッスン廊下で待たされてる間中、頭の中で不満とが溜まり、レッスン後に、彼女にそれを伝えました。そしたら、うん、彼はとても真面目でやる気もあり、お母さんが部屋にいてもレッスンに集中するできるタイプの子だから、来週からは部屋に一緒に入ってくれていいよ、と言ってくれた驚いたものです。こんなにフレキシブルに自分が言ったことを撤回する先生、すごいなー、と思いました。
それからは、本当に経験したこともないくらい素晴らしい音楽教育を息子に施してくれました。まず、彼女は、すべての子供に一律の教育を一切せず、その子にあったレベル、スピードで、必要な技術を身に着けさせる、ということに徹底していました。個別レッスンなんだから、当然なのかもしれませんが、それができている日本のピアノ講師がどれだけいるか。。。少なくとも私はその後の東京生活では見つけられませんでした。彼女は、1冊のピアノ教本を買っても、最初から最後まで順番に曲を弾かせる、ということはしませんでした。今息子に必要な曲はこれだね、と言って、その教本の中の数曲を弾かせた後、もうこの教本から学ぶことは何もないから、次に行こう、と言って次の教本を買ってくるように言われました。それが数回続いた後、彼女は、この子はすごくよくできるから、教本を買うのがもったいないタイプだから、私がプリントを毎回用意するね、と言って、課題の曲のプリントを彼女が用意してくれるようになりました。レッスンの間中も、息子の弾いている様子を見て、今の彼に何が足りなくて、どうしたらもっと息子が伸びるのか、、とずーっと考えて、それに合う課題曲を頭の中で探してくれてるようでした。あー、これが能力を最大限に伸ばす教育なんだな、と身をもって実感しました。
よく音楽の先生は、アートの領域の人でいわゆる天才みたいな人種だから、言語化が苦手とか、説明が分かりにくい、という話も聞きますが、Katherineは、感服してしまうくらい指示がクリアで、次週までに取り組まなければならないことの説明も明確でした。ここまで頭の良い人は、なかなかお目にかかれない、というくらいのレベルでした。毎回取り組む課題は、なぜ今の息子にそれが必要なのか、こういう技術、こういう腕の動きを身につけさせたいから、この練習曲をやろう、と常に目的が明確でした。当時、ピアノだけでなく、Vioinの個人レッスンもとっていたのですが、Katherineとは対照的に、Violinの先生のいうことが本当にわからず、息子も、何を取り組めばよいのかわからないので練習が必然的に後回しになり、ピアノの練習ばかり楽しそうにやるようになっていました。指導者によって、子供の取り組みがこんなに変わるんだということは身をもって実感しましたが、今振り返ってもよい教訓ですね。
ある日のレッスンで、Katherineは、言いました。お母さん、彼は、Giftedですよ、と。それが、私自身が自分の子供が特別にできる子なんだ、ということを認識した、初めての瞬間で、母親としてのターニングポイントでした。今日に至るまでこれほどまでに教育というものに興味を抱き、自分自身の息子の子育てにのめりこむきっかけになった出来事でした。それまでは、自分の子がGiftedなんてことを考えたこともなく、母親としての自身もなく、毎日の子育てを無事に一日終わることに精一杯、とにかく周りの子と仲良く、そして少しでも楽しく学校生活を送ってもらえらばよい、と思っていたのですが、あの日をきっかけに自分の子育てのレベルが1ステージ上がったというか、上の次元から見えるようになった、と振り返って思います。
音楽の才能があるとか、ないとかではなくて、ここまで興味をもって一つのことに取り組み、集中して練習できる、それがこの子の才能です。Giftedです。
あの段階で、それを見抜き、私に真正面から伝えてくれた彼女の聡明さと、教育者としての自信とプロフェッショナルさには、本当に感謝してもしきれません。彼女は、非常に若い女性でしたが、Oxford Universityを音楽の奨学金で卒業し、英国王立音楽院も卒業した音楽のエリートでした。そんな素晴らしい教育者に、街の週末の音楽学校で、ひょっこり出会えてしまう、というのが、ロンドンの文化の奥深さのなせる業なんだろうな、と今も懐かしく、うらやましく思います。
日本に帰国、ということになって、最も悲しかったのは、このKatherineとのお別れでした。最後のピアノレッスンは、同席して録画しながら、心で泣きました。
彼女を超える教育者には、その後、東京でもシンガポールでも、一生懸命探していますが、出会えていません。教育者がどれだけ大切か、息子の取り組む姿勢を見て実感したからこそ、やはり素晴らしい教育者を見つけたいと頑張っていますが、なかなか難しいです。